獄中で死ぬこと。
宝永5年8月18日。大井甚右衛門は困った取り扱いをしたと水野藤兵衛・三尾惣右衛門2人に老中が申されたと云々。遠慮するべきかと尋ねるとそれには及ばずと云々。代官三尾善八・佐田弾助もお叱りにあい、同様。惣右衛門手代2人は追放となる。内1人は甚右衛門の訴状を書いた者で、その時から牢に入っていた。もう1人の子は甚右衛門のところの者で大井の旅籠屋であった。甚右衛門親子は獄死を待つばかりであった。