正徳5年5月18日。昨今馬の頭がとても少なく、文左衛門の町はたった1つ通っただけである。この日梅昌院様(徳川綱誠正室)が御覧になる。昨日は瑞祥院様(徳川吉通正室)が御覧になる。何れも何とか3、4疋を牽いてくると。
正徳5年5月17日。この日、馬の頭はほとんど現れず。この朝、武野新五左衛門が尾張を出発する。今まで御壺(茶壷)は30ばかりあったが、今年から10減らす。竹田道泉は去年まで2つずつ詰めていたが、今年からなくなる。もっとも下される銀もなくなる。上林又兵衛は5枚ずつ下されていたところ3枚となる。上林芳順も10枚が5枚になる。尾崎有庵と上林春せうの両人は前々の通り5枚ずつ下されるはずである。近頃、評定所東屋敷の東の門および長屋を壊し、揚屋は西だけになる。破損した個所の修繕費用にするため。
宝永5年5月17日。今月5日に日置の桧物屋又右衛門が熱田の神事を見物に出かけた。酒に酔って馬の頭をからかい、借りて差していた脇差を抜いたところを脇差をもぎ取られ、その上頭を長刀で切られた。その後いろいろ詫びて脇差を貰い返した。
元禄9年6月9日。1日中、曇。未半点(午後2時)、文左衛門の住む町を雨乞いの馬の頭が通るが、馬が逃げ出し西へ走り去って行く。これ以上は進むことができなくなり、警固の者は走り回って騒ぎだし、からかい、掴み合い、組み伏し、殴り合いなどをする。酒に酔ってのことか。