正徳3年6月5日。(文左衛門?)は建中寺で仕える。霊屋の扉も閉じてある。徳岩院様の忌中のため名代はなし。御唐門の外に筵1枚を横に敷いてあり、ここで拝礼をして帰る。隼人正殿も参詣できるのであれば現れたはずだが、それならばと現れなかった。(?)酉半(午後6時)、大曽根で火事だと大騒ぎになる。文左衛門が門の外に出ると御国奉行、町奉行、御先手など見かける。町火消、水番等も大勢が集まる。数万の提灯が片端から下の町まで続いており、壮観であった。しかし火事は大曽根ではなく、春日井郡上原村与次兵衛の家が焼けていた。八平は先ほど北の方角に火が見えたのはこれだと言っていた。その上、雲の間に稲妻が映り、燃えるように…