宝永7年11月10日。雇った井戸堀の見習はとても年をとっていたので上手く作業が進まなかった。そのため未(午後1時)過ぎに本職の井戸堀清六を呼ぶと、500文で請け負うとのことであった。初めに八平の言葉を信じ、本職の井戸堀を雇わなかったため出費がかさみ、文左衛門はこのことを大いに恥じて悔やんだ。この日も日用と見習井戸掘1人。近頃久屋上田町の町代1人と他に奥田町で1人以上6人(ママ)が逐電する。田地を求める者があれば取り次ぎ、良い土地があると数年の免概、年々の年貢、地割などの細かい書付を見せ、その上見たいと言うとすぐに連れて行って見せていた。畠を耕す者があり、この田地の良し悪しを尋ねるといい土地だと…