正徳3年9月6日。襲封につき定光寺へ名代を嶋沢仁大夫が勤める。御家督二人(ママ)は前川の増水のため昨晩ようやく到着する。この日御家督の廻文がある。夜、鈴木十郎兵衛が他から戻る。この2月から奉公していた若党村瀬藤七が、自分の長屋から密かに白刃を持ち出して十郎兵衛が中門をくぐるところを後ろから首を切る。鞘は抜いて長屋に置いてあった。耳のあたりから切りつけ、一太刀で死んでしまった。そこへ現れた十郎兵衛嫡庄左衛門が藤七を仕留めたことになっているが、実は藤七が自分の腹を突き裂き、自殺していた。十郎兵衛は56歳であった。町奉行の考えで召仕に親を殺されたは面目がないので立ち退くとの書置きを書かせ、庄左衛門と…