伊勢国桑名郡長島にあった浄土真宗の寺院。戦国時代の長島一向一揆では一揆軍の拠点となった。
正徳5年7月24日。近頃、長嶋願証寺琢清が高田宗に改宗する。宗派では含むところがある。その上西本願寺から吟味がある。あれこれと騒動とある。琢清は初め不法なことがあり、東から西へ移される。西とはこれまでもいきさつがあった。毎年の付け届けなども行わず、西から不埒と詰問され、たまらずに改宗したと云々。
正徳1年10月4日。本町、その他の通りでは戸に簾をかけ、屏風をきらびやかに立てて廻し、見物の男女が1日中溢れる。その様子はまるで祭礼のようであった。大須門前両側に桧林の木で馬屋を仮設し、あちこちから馬を用意する。その他大須の裏から七つ寺・願証寺までの裏までたくさん馬を用意する。驚くばかりであちこちの村から取り寄せた馬は1600疋と云々。
元禄14年9月9日。この日より願証寺で操りが行われる。演者は大坂新太夫、盛岡宮内、木屋吉太夫。
元禄8年9月24日。晴れているが風が吹く。津守様(松平義行)御賄本田忠右衛門という者が願証寺門前で借家住まいをしていた。この夜、親類のお産のため姑1人を残して見舞いに行くと、家の戸を叩く者がいた。その者は無理やり懸硯箱(小型金庫)を持ち出した。姑が驚いて声をあげると姑の首を打ち落として立ち去った。懸硯箱の中には御用金があったと。