先日、千葉県船橋市の行田公園に行ってきた。 ここはもと海軍の無線基地(海軍無線電信所船橋送信所)があったところで、戦後米軍に接収され、1966年に返還されて公園になった。この一画に日本近代史に重要な役割を果してきた無線塔の記念碑がある。 船橋送信所の無線塔記念碑。(筆者撮影) 碑文には「関東大震災の時には救援電波を出して多くの人を助けた」とあり、朝鮮人関連の記述はない。 「ニイタカヤマノボレ一二〇八」 対米開戦を控えた1941年12月2日、連合艦隊司令部がハワイに密かに接近中の機動部隊に対し「ニイタカヤマノボレ一二〇八」(12月8日真珠湾を攻撃せよ)を打電したことで知られるが、関東大震災直後の…