そのむかし、大日本帝国は一廉の小麦粉輸出国家であった。 小麦ではない。 小麦粉(・)である。 カナダ・アメリカあたりから小麦を仕入れ、国内にて製粉し、袋詰めして輸出する。そういうことで、けっこうな利益を上げていた。 (Wikipediaより、小麦粉) 当時の記録を紐解くと、昭和二年時点に於いて二百五十万袋を輸出したのが、 昭和三年には六百五十万袋となり、 昭和四年には九百十万袋、二年前の四倍弱に到達している。 春の野原の土筆(つくし)みたいな、さても目ざましき「伸び方」だった。 しかし本当に驚くべきは、この輸出小麦粉の七割までが、その実たった一つの工場にて生産され、送り出されていたことだろう。…