正徳6年1月21日。酉(午後5時)過ぎ、火事だと騒ぐので文左衛門が出て見ると、東南の方角遠くに火が見えた。山に火を放ったと々。しかし、役人衆は建中寺前などまで延々と続いていた。久次郎が後日やってきて話したところによると、水野でも巳午(南南東)の方角に火が見えたと云々。いつもの蕨(藁?)焼の場所ではないと云々。