南蛮から渡来した酒の一種。文禄五年(1596)七月、藤原惺窩が大隅国波見で中国人商人から振舞われている。江戸期の本草書には、焼酒を二次的蒸留した酒であると紹介されている。暹羅酒(シャム王国の酒)のことを指す名称ともされる。 中国人商人の歓待 ニツワト云ハ焼カヘシノセウチウノヨシ 参考文献 中国人商人の歓待 文禄五年(1596)七月、藤原惺窩は中国明朝へ渡るため薩摩国へ向かっていた。その途上、大隅国の内之浦(現在の鹿児島県肝付町)において、ルソン通いの船頭浄感の子や役人の竹下宗意らが「勝酒」(焼酒)や「葡萄焼酒」(葡萄酒か)、「菓子」「マクワ瓜」「異域珍肴」等を携えて惺窩のもとを訪れている。浄感…