・紀元前740年 姫宜臼が周王として擁立された(平王)。(『繋年』) ※『繋年』には叔父の携王,姫余臣の崩御から平王の即位まで9年間、周王が空位であったと述べている。かつて幽王,宮涅によって後継者から外され、さらに余臣を殺害した晋の文侯,仇に支持されていた宣臼は、周王として即位することに抵抗感を持たれていたからとも考えられる(佐藤信弥『周』)。 ・紀元前738年(周暦平王3) 周の平王,姫宜臼は遷都した。(『繋年』) ※宜臼は本来は太子であったが、追放された後に即位しているため庶子となる。そのため、幽王,宮涅が滅ぼされたことで本家としての周王家は滅亡し、洛邑にて分家が王権を維持したことになる。…