東洋史学 (1904-1987)
明治37年(1904)東京生まれ。地理学者・小川琢治の次男。湯川秀樹(物理学)、小川環樹(中国文学)は実弟。
昭和3年(1928)京都帝国大学史学科東洋史学専攻卒。昭和7年(1932)東方文化研究所研究員。昭和24(1949)京都大学人文科学研究所教授。同年10月より、京都大学人文科学研究所所長。中国古代の甲骨文字や金石文の研究をおこなう。昭和54年(1979)財団法人人文科学協会理事長。昭和56年(1981)東方学会会長。
中国古代史の研究において、従来の文献による研究方法に対し、甲骨文字などの出土資料の史料的価値に着目、なかでも「京都大学人文科学研究所蔵甲骨文字」三大冊は世界の学界で反響を呼び、この分野の研究の開拓者として高く評価される。
また、中国近現代史についても大きな関心を抱いて、古代史のみにとどまらず中国の古代から現代までを研究対象とする。戦後は、中国やアメリカとの文化的な交流にも尽力し、学術文化の向上に大きく寄与した。
昭和59年(1984)文化勲章。昭和62年(1987)2月9日逝去、享年82歳。
『中国古代史学の発展』(1946)
『孔子』(1951)
『京都大学人文科学研究所蔵甲骨文字』1〜3(1959・60)
『諸子百家』(1961)
『史記―中国古代の人びと』(1963)
『論語─現代に生きる中国の知恵』(1964)
『日本と日本人』(1965)
『中国とは何か』(1967)
『古代殷帝国』(1967)
『中国の伝統と現代』(1973)