自分が、 無限の自己そのものであることを体感していて、 兄貴といつも一緒にいるからといって、 〝赦し〟をしなくてもよくなる、わけではない。 もちろん、日常遭遇するさまざまな出来事の中で 罪悪感や欠乏感や無価値観は上がってくる。 しかし、以前やっていた赦しと決定的に違う点は もう既に〝赦されているもの〟として、 それらの否定的な思いを捉えていることである。 この感覚を言葉にするのはとても難しいのだが、 「これは赦されるために出てきているのだ」とか、 「これも本当は愛だったんだあ」というふうな、 解釈(考え方)、の方へ行くのではなく、 何か自分が不快な思いをして(又は人にさせて) 怒りや罪悪感を感…