太平洋戦争時に国民の不満を抑圧するために生まれた戦時標語の一つ。1942年(昭和十七年)に大政翼賛会と複数の新聞社が「国民決意の標語」を募集し入選した十篇の入選作。
採用したのは当時国策広告に携わっていた花森安治。
標語の意味は、国が物資を軍需用に優先するために民生用に不足したことにより、臣民が窮乏生活を強いられても工夫で凌ぎます、の意。
大日本帝国が戦争に負け滅亡して以降は、上層部による失態について「工夫」という根拠のない言葉のみで無茶な精神論を現場に押し付けるという皮肉として使われることが多い。