【駒城】 〈駒城は下総か常陸か〉 下河辺を発った高師冬率いる北朝鎌倉勢は松岡荘加納飯沼の地に城(飯沼館)を築いてそこを大将である師冬の本陣とし、同時に八丁目・垣本・鷲宮・善光寺山にも城を築き常陸国へ侵攻する機会をうかがっていた。 駒城周辺略図 このころ山内経之は下総国結城郡山川から手紙を書いているので(「やまかはより」37号文書)、山川にある善光寺山か、この地を治める下総結城氏庶流の国人山川景重の館付近にいたと思われる。鎌倉勢はここから衣川(鬼怒川)を越え、関宗祐の関城や、関城から南東15キロの位置にあり、北畠親房が寄食している筑波山ふもとの小田城を目指すことになる。しかし常陸攻略のまえにいや…