日頃我々が目にするニュースの数々は大抵結末を伝えないままフェードアウトしていく。だから最初に伝えた内容が、どれだけ誤ったものであっても、そのほとんどは修正されることなく終わる。無罪のニュースが冤罪ニュースより多く報道された例は稀だ。 「どちらでもよい」 結局自分が当事者になるまでは大勢がそれくらいに考えているだろうし、それくらいに考えていなければ頭がおかしくなりそうなほど哀しい事件が日々起きている。捕まった犯罪者にも何か理由があったのではないか?などと感傷に浸る暇さえ与えてもらえない。でも、それで良いのだろう。殺すだけの理由を知ってしまったら”仕方ない”が暴走するだけの話なのだ。それこそ歯止め…