元禄8年3月4日。曇。昼過ぎから雨が降り始め、夜になって止む。文左衛門の召仕由右衛門が葛籠(つづら)を持って来た際、畳を担ぎ出る者で込み合っており、葛籠を落とし、少し破れてしまう。御目見衆の青木藤太夫・志村藤助・山村忠左衛門・嶋沢佐平太が二の丸へ呼ばれる。堀治部右衛門と向かい合い密談をする。そのわけは不明だったが、後で聞くと御目見衆の隠し目付だと。この後、4人は見物の人混みへ必ず出かけると。青木藤太夫以外は御扶持方であった。
元禄7年12月。近頃、堀治部右衛門が3度ほど福留三郎右衛門のところへ出かけた。そこへ行くはずもない者であった。当時、隠し目付がいると噂されていたので、三郎右衛門も隠し目付かもしれないと。信じられる話ではない。 行くはずのないところへ行ったからといって怪しまれても困ってしまう。