元禄7年12月。近頃、神谷弥五郎右衛門と親たちが二の丸へ呼ばれる。土屋庄左衛門も一緒に雁の料理を下される。また家への土産とまだらの雁を1羽下される。先ごろも土屋庄左のところへ呼び寄せ、御意により弥五右衛門に馬に乗ることを褒美とされる。また御女郎衆を金左衛門の姪として弥五右衛門に嫁がせる。いかに世倅源蔵お気に入りとはいえ、同心などにこのような思し召しは珍しいこと。
元禄7年12月。近頃、堀治部右衛門が3度ほど福留三郎右衛門のところへ出かけた。そこへ行くはずもない者であった。当時、隠し目付がいると噂されていたので、三郎右衛門も隠し目付かもしれないと。信じられる話ではない。 行くはずのないところへ行ったからといって怪しまれても困ってしまう。
元禄7年12月。織田太郎右衛門の妻は二の丸御局の娘であった。和田重蔵の妹であった。また、佐藤宗鑑の女房の妹を太郎右衛門は寵愛し、近頃男子が生まれた。公は太郎右衛門を呼び寄せ、直接仰せられたのは「お前の倅に母はあるのか。」太郎右衛門が答えるには「乳母を置いていると。」公は「その女を立ち去らせよ。もしさっさと行わなければ今後お前は参上しなくてよい。」太郎右衛門は大いに慌て、その日に女を宗鑑のところへ送った。