鉱山労働者を経て、遠洋航路の船員となって中国、アジア、米国を巡るうちに、ソ連極東の港町ウラジオストクで船を降りて、亡命した。借金がかさんでいたようだ。極東地区の国際会員クラブで活動した後、モスクワの東方少数民族共産主義大学(クートベ)に入学した。当時はスターリンによる粛清の嵐の中で、ムヘンシャンにも危機があったが、回避できたようだ。卒業後、印刷所の植字工や出版社の校正係を経て、モスクワ放送で働くことになった。(青島顕『MOCT 「ソ連」を伝えたモスクワ放送の日本人』集英社、2023) こんばんは。上記の文章を読みながら、沢木耕太郎さんの『天路の旅人』に出てくる西川一三みたいだなぁと思いました。…