越前朝倉氏重臣の青木景康が所持していた肩衝茶入。別名は式部少輔(式部丞)肩衝。のちに織田家臣明智光秀の手に渡り、茶会で用いられた。光秀死後は徳川家康が所有していたが、大坂の陣後に美作国津山の森忠政に下賜された。 青木景康から明智光秀へ 津田宗及の記録 森忠政への下賜 参考文献 青木景康から明智光秀へ 青木肩衝の名は越前朝倉氏の重臣で府中奉行をつとめた青木景康が所持していたことに因むと考えられている。永禄から天正にかけての地域別茶湯名物記である『唐物凡数』には、「府中青木」所持の茶湯名物として「トウキレ肩衝」とともに「式部丞肩衝」がみえる。 その後、青木肩衝は織田家臣明智光秀の所持となった。天正…