今私の左手を枕にして猫が寝ている。可愛くて仕方がないこの“お姉さま”は我が子のようで、主のようで。この気持ちはひとつの儚き命に対する情でもある。人間ではないこの子の方が、よほど自分に近しい気がしている。私がブチ切れて大泣きした時も、こちらもまれにみる大声で鳴いて止めに入る優しい子である。 多頭飼育崩壊や動物虐待のニュースを見ると、本当に悲嘆するし腹立たしい。人間同士なら、たとえ愛がなくなっても、理性でもって話し合える。それが通用しない生命の脅かしなど論外だ。愛が永遠でなかったとしても、対等に同じ土俵の上で闘えない相手(動物)を一方的に攻撃してはならないはずだ。虐げるのは、対象がか弱いからではな…