おなじみ慶誓こと、佐武源左衛門も鉄砲の名手だった。彼が根来衆であった時期は短く、戦歴の殆どは雑賀衆としてのものなのだが、参考までに「佐武伊賀守働書」に記された彼の武勇伝を見ていこう。自ら記したこの記録によると、生涯で彼が参加した戦いの数は、確認できるだけで20回。鉄砲を駆使して、多くの敵を倒している様子が描かれている。 一番の見せ場は、1570年に三好側について織田方と戦った際のエピソードである。河内の大海(おおが)という城の矢倉に陣取った源左衛門が、従者に装てんさせた鉄砲5丁を何回も取り替えて発砲し、攻め寄せる敵を何人も打ち倒した、とある。この戦いで彼が取った首は13、この戦闘で死んだ敵方の…