決断の主体の位置から、やっていることを見ていると、 自分はいつも正しく、悪いのは常に他人、という、 どこまでもワンパターンな投影があることに気づく。 〝彼が発した一言は私を傷つけた、故に彼は有罪だ〟 〝私の平安を乱した奴は、大きな罰を受けるのだ〟 というふうに…。 また、人以外の、ちょっとした状況や出来事にも、 〝死ぬのはいつも他人パターン〟を使っている。 今日仕事帰りに、マイヤーズラムを買おうと、 AEONの酒屋さんに立ち寄ったら売り切れていた。 他の店を覗いても売り切れで、結局買えずじまいだった。 「仕方がない、そのうち入荷するだろう。」 と思いつつも、決断の主体の中を覗いてみれば、 自分…