初めて北九州市八幡区(現在の八幡西区・東区)へ行ったときは町全体が構内かと思うぐらい工場地帯が拡がっていました。 鹿児島本線の線路を境に洞海湾(どうかいわん)沿いの東の方はほとんどが八幡製鐵(株)の敷地で八幡製鐵所と戸畑製鐵所に別れています。そして駅の南側に八幡の市街地が東西に長く延び、そこを西鉄の路面電車が小倉方面へ走り、そのまた南に皿倉山(さらくらやま)が高く見える。そのころの八幡はまさに製鐵所と共に成長していた町でした。 北九州五市(門司、小倉、戸畑、若松、八幡)が合併して新しい北九州市になったのは昭和38年2月10日のことです。 高見神社 洞海湾岸の小山という土地に祀られていた神功皇后…