しかし、そうこうしているうちに、臨床医学にどっぷり浸かって抜けられなくなりました。アメリカに行ったのは、人の紹介があったためでして、決して進んで望んで行ったのではなかったです。感染症を専門にしたのも成り行き、中国で診療所に勤める医者をやっていたのも成り行き、日本に戻ったのも成り行き、神戸大学の教員になったのも成り行きでした。僕のキャリアパスは、計算も計画も、予見すらもなく、そのときそのときの「成り行き」次第だったのです。(岩田健太郎『一秒もムダに生きない』光文社新書、2018) おはようございます。昨日の朝は人身事故の影響で電車が止まってしまい、30分ほど同じ駅で待つことになりました。人生とは…