元禄7年5月21日。正午少し前、公が御下屋敷を訪れる。未2刻(午後1時30分頃)、帰られる。御目見衆が大勢で騒ぎだし、服部甚蔵などが御供の際は先へ参上するなとしきりと叫ぶが、大勢が我先となり、聞き入れなかった。先に走り行くので御機嫌よろしからずと。