元禄9年5月6日。曇。午(午前11時)から大雨となる。夜更けには止む。先日から星野勘左衛門が病を患っていた。この日は小便が出なかったので、医師は絶骨(くるぶしの指4本上)に灸をし、足下にも灸をする。熱い、熱いと言っている間に急に死んでしまう。年は50。翌夜、高岳院で弔う。死を悲しむ人はとても多く、戒名は大忠院殿射教(講)浄林となる。