宝永1年4月28日。未(午後1時)過ぎ頃、熱田二の鳥居の側で大小を差した男が脇差で喉を切り、刀で腹を切る。どちらもうまく切れず、すぐに肉の塊をつかみ出す。それでも死なず。熱田奉行の足軽がやって来て、どこの者だととても横柄に尋ねる。この者は絶命しようとしていたが目を開き大声で叱りつける。ほかの足軽は心得たものでへりくだって慰める。この者は三州と答えて死んでしまう。昔、梶原景時が泰衡の郎従由利八郎に辱めを受けたのと同じことである。2、3日ここに置き、番を付ける。三州西尾土井式部の家来と云々。