宝永2年11月18日。水野只助が篠島へ遠島となる。使いは供番沖野一郎右衛門、目付近藤弥五太夫。三宅善八手代若山金右衛門、佐田弾介手代原田伊兵衛が評定所東へ入る。ほかの手代は大方申し開きができる。夜、五味新次左衛門が28で死ぬ。父休岸が死んで7日目のこと。饅頭を食べ、酒を呑み、休岸が用いて余った独参湯を呑むと。その上、休岸が末期に用いた土砂を呑むとも。