宝永3年7月4日。昨3日の夜、天王坊が小便をしに出ると、急に縁の下から人が1人現れ、天王坊を下へと投げ落として猿轡をはめようとした。はめられないようつかみ合いうちに、大声を出すとあちこちに傷を付けて北へ向かって逃げ出した。そのうちに小僧などもやって来たので逃げ去った。大小刀(カタナ)で切った傷のようであった。守袋・火燧(火打)袋を落としていった。このため領分の山伏に命じて札の守を調べた。天王坊の召仕は言うに及ばず、そのほか日頃出入りの日用などまで残らず詮議があった。