宝永4年11月12日。真鍋茂大夫が病気願いにより役を解かれる。500石の内300石は召し上げとなり、馬廻りとなる。茂大夫は江戸において本寿院様から大分と金を下されていた。お気に入りのため自分では勤めを続けたかったが、表の役人などがこのことを知っていたので、勧められて病気ということで願い出ると。近頃、清水の用水のあたりで40余りの女が首をくくって死んでいた。その様子では他で切り殺し、運んできて捨てたと云々。このことで飯田町の者1人が所に預けられる。