宝永4年12月17日。小川庄右衛門が逐電する。蔵米の返済金は残らず清算していた。平田屋を始め名古屋あちこちの金持ちから金2、300両、あるいは4、500両借り集め、都合2000両借金して逐電する。平田屋新八は250両、惣介は150両貸していた。庄右衛門の年は23から25で、女房は野村屋の娘、原安左衛門の姪であった。庄右衛門は米商いなどをしていた。さいとり(才取り、仲介者)4人は預けられる。庄右衛門の家は蝦屋町で、伯父小川勘右衛門の近所であった。勘右衛門は大金持ちであちこちに町屋を持っていた。巾下の質屋で、老中などの鐘の面倒をみることも多かった。勘右衛門を町奉行へ呼び寄せ、庄右衛門を探し出すよう…