宝永5年10月17日。文左衛門は昼過ぎ平左と源右へ出かける。そこへ儀兵もやって来る。理右は昨日戻ったが、このことは小頭へは話していなかった。戻っていないことにし、早々他へ尋ねに出かけるようにと云々。伝左は心得たもので又左衛門が見つかるまでは帰宅は無用で、伝えたいことがあれば名古屋の地へは入らず、熱田・小牧・清須などから伝えるように云々。