宝永5年2月30日。少し前、主馬家老三和七左衛門が紋付の熨斗目を拝領し着用する。隼人正は江戸でこれを聞き直接申し上げる。先年山城・隼人両家の家老に紋付を拝領と願い出たが叶わなかった。それなのに今では陪臣であっても紋付の拝領をゆるされるということなのか言いながら七左衛門のことを申しだされた。公は大変困ってしまい、座を立ち、行かれてしまったと云々。このため七左衛門は紋付を着ることができなくなった。七左衛門は当地ぐだ(愚惰?)の五郎兵衛という町人の僕で三太郎といった。それから五郎兵衛甥の長嶋町下竹屋町西南角酒屋岩井屋喜平治の僕となった。その後主馬へ仕え、このように出世した。喜平治父を宗丹といい、宗丹…