宝永5年3月6日。荒川次郎九郎がこの日京都を出発し、9日に尾張へ戻る。京都で芝居見物をしたのを五十人目付戸田五郎兵衛に見られる。間の悪いこと。前津矢場のあたりで小川(欠字)の子と阿部縫殿家来の子2人で紙売を切る。紙売は死ななかった。この紙売は近藤弥五太夫足軽の子であった。2人は立ち退く。2人とも14、5ばかりだと。