宝永5年5月12日。瀬古石山がこの日未刻(午後1時)に閉帳する。今朝、大曽根のあたりで伝馬町礪(研)屋次三右衛門という者の召仕が頭を切られる。犯人はだれかもわからず、行方もわからず。4、5日過ぎて召仕は死んでしまう。