宝永6年1月16日。昨日申(午後3時)過ぎ、文左衛門は平左とともに武右へ出かける。今は穏便の時期であるので伝左衛門も早々に帰宅するだろうと云々。田島儀兵衛も務めの者が窮しているので早々に番に出るように云々。