宝永6年10月29日。久屋誓願寺大門を瓦葺にするにあたって、中の方から葺くようにと大工は言ったが、瓦師は聞き入れず表から葺き始めるとミリミリと音がして屋根がひっくり返り、道の向かいの塀際まで飛んで行った。未刻(午後1時)少し過ぎのことであった。その音が地を揺らし、近隣を響き渡った。手伝いの日用3人は屋根の上にいたが、全員落ちて強く打たれた。内1人は大けがで、足の骨が出たが揉み入れた。残る2人は深い傷ではなく、強く打たれたは又兵衛という者であった。すぐに1人死んだと言っていたが嘘であった。又兵衛の子、坂下つかまき(柄巻)屋勘六も手伝いの3人で少し打たられた。この他にも荷を積んだ馬を牽いて通りかか…