宝永6年6月23日。辰刻(午前7時)前、殿が入城、広小路から馬を呼び寄せる。茶屋長曽が供をする。卯(午前5時)前、文左衛門は弥次右とともに市を誘って善篤寺前で礼をする。先乗は松井惣兵衛・千村助左衛門、その後は兵庫殿・靭負殿・主馬殿・騎馬。礼をする者がとても多く記しはしない。市のところへ寄り、朝飯を頂く。城に入ってからは天守奉行の泊番はなく、作事があったので昼だけ出向く。岡本治部右衛門は1日供をして腹を下し、昼夜200数度も。馬1匹が死に、家中の槍持ちが1人病死する。この他にも落馬する者があった。