宝永7年5月22日。霊屋が出来上がり、北の境に杉などを植えたので、甲斐の座敷の前はとても狭くなり、殊の外暗くなってしまった。これは気にするほどではなかったが、公が来られると特に覆われて暗くなるので、北の方の空地を拝借したいとの願いがあった。このため近頃、北では甲斐のところから南へ間口8間(1間は約1.8メートル)、西は土居までを貸し、表の塀はもちろん、境のねり(練)塀まで公より作られる。