宝永7年8月1日。先月晦日に下目明し六右衛門が牢に入る。橘町芝居の向かいの家は闕所となる。博奕打から賄賂を受け取っていた。あるいは町屋に商売女を置いて、出家(僧)などに世話をしていたとも。その他にも不届きが多かった。侍や町人、出家にも仲間が多かった。本目明庄三郎は1年半病を煩っている間に、このような不正を働いた。近頃、庄三郎は病が癒え、復帰していた。