正徳2年4月15日。呉服町の紺屋へがつそう(兀僧、総髪)の医者のような者が大小を差してふと入ってきて、木綿の肌着を盗み出たので追いかけ、盗みだと叫んでいると町廻りの足軽と行き会い、捕まえて紺屋へ連れてきた。紺屋は盗みとすると面倒だと思い、この者ではないと言った。こんなことを言ったのでかえって目明しがやって来て盗みだと判明してしまい、下の篭へ入った。三阿弥の甥で岡田半左衛門の従弟であった。巾下栄生町に住んでいた。