正徳4年3月11日。今月2日、御書物奉行清水源左衛門の座敷に盗みが入り、具足櫃を盗み去った。その中には黒印と書物長持の鍵と書物の目録が入っていた。このため町や村へ知っている者があれば申し出るようにとの触が廻った。同19日の朝、黒印は源左衛門の前に捨ててあったと云々。盗みは近所にいたのかと噂だった。
正徳4年3月2日。御園町畳屋仁左衛門の近所でばつと火が燃え上がったが、すぐに消し止める。少し前に江戸へ下った色都・若都2人の盲人は初め3両に2人扶持であったが、今度13石3人扶持になる。この内1人が近頃泉水へ放り入れられ、泥まみれになった。藤山は霧山の弟子であった。円覚公(徳川綱誠)の時に検校の後として江戸へ召される。村山の後家と一緒に住み、密通する。西沢の娘を霧山の家老権右衛門の娘分にして藤山に嫁がせるはずであったが、桐山の後家が怒ってあちこちへ話したため果たせなかった。