正徳4年8月28日。辰(午前7時)頃、御屋形を年寄衆が見廻り、表御玄関から入られる。大目付以上が現れ、残らず見廻られる。翌29日、御目付が見廻り、御しめ口より中へは入らず。局の方へも行かず。公が御城帰りの際、御歩行頭遠山治部が飯田町で横から馬に乗ったまま通る。御目付衆は人を遣わし名を聞かせると、治部はうろたえて下馬しなかった。召仕なども立ちはだかった。治部は逼塞となる。雨天の時は御小姓立衆が御城へ御先(先導)する。