正徳5年6月24日。文左衛門は文助・源右を昼前から呼んで礼状を書いてもらう。半右殿の妻も呼ぶ。夕飯を出す。寺西図書が尾張を出発する。この朝、服部小十郎30歳が死ぬ。駿河守(大道寺)の甥分で、実は又従弟。服部仁左衛門弟仁三右衛門ではなく、小十郎とは又従弟の成瀬織部二男新五郎を跡取りにと願う。小十郎の寺は一向宗円通寺。小十郎は江戸で疱瘡を煩った時から死を覚悟し、小笠原三九に新五郎のことを遺言していた。