文政6年1月17日。久屋全泉庵へ女1人が加持(祈祷)を頼みに来るが、朝勤め最中であったので待っている間に自害してしまう。この者はある屋敷で妾を勤めていたと。何か願をかけたが利益がないなどと話してした。刀で喉を突いたと。この庵は金毘羅を勧進して繁盛し、普請が近頃終わっていた。文政11子年に寺の列に加わり、瑠璃光寺と号す。東懸所新堂は瓦を葺き始める。