80年代の受験の大変さについては、前回書いた通りです。 今回は晴れて京都の大学に合格してから入学式を迎えるまでを書きます。 大学が決まるまで 80年代は受験生の数が多いだけでなく地方入試もまだそんなに多くなくて、地方の高校生にとっては大変でした。 関西で人気があった関関同立(関西・関西学院・同志社・立命)は、偏差値が60以上あり競争率も非常に高かったですね。 私は滑り止めをいれて4回ほど受験しました。 待ちに待った合格通知が届いた時は本当にうれしかったですね。 合格した中で第一志望だった京都の大学に入学手続きをしました。 三月には卒業の余韻もそこそこに国公立の二次試験がありましたが、こちらの方…