政治を自分の言葉で語ろう、語れないと思う必要ないんじゃないといった発信が増えてきているように思う。 自分の困りごととか身近にいる大切な人の問題を考えた時。「世の中としてなんとかしてくれ」「これは自分だけの問題じゃない」と思い至って語り始めるのだと思う。 せやろがいおじさんとか、NoYouthNoJapanとか。 ひとつの大きな流れができてきたような印象だ。 時代がそれを求めているのだろう。 こういう言葉は具体的な裏打ちがあるだけに、強い。伝わる。 かつて駅前で国会議員選挙の応援でシールズの女子学生が来ていた。不慣れな話し方ではあったが、それ故に彼女の語る自分の経験や意見は、素直に共感をもって受…