夏目漱石の『吾輩は猫である』は途中までは吾輩が耳で聞いたことを主にそれに批評等を加えることで成り立っています。途中まではと書いたのは後半はなぜか吾輩が眼で観察したことが主になるからです。それは何故なのか?という問いの答えは文学部卒ではないので知りはしませんし謎のままなのですが、一貫して猫と対比しながらちょっと変な人の生態や人間社会を描写しています…って漱石の話をしたいわけではなくて。 やはり猫と対比すると時として人の行動や人の社会はちょっと変なものに見えるのかもしれない、というのを今夏『デキる猫は今日も憂鬱』(原作・山田ヒツジ)というアニメを追っていて・録画した最終話までを先週にワクチンを打っ…