むかご御飯・読むのがつらい小説

昨日、むかご御飯を作りました。ブログ知人のmiyotya様のレシピを見て作りました。初めての挑戦でした。
昨年からmiyotya 様のブログを見ていて、食べてみたいなあと思ってました。ことし、畑に山芋(正確には長いも)のむかごがいっぱいできたので、チャンスと思って作りました。むかごを洗ってそのまま使うので割と簡単でした。

さて、食べた感想です。私は、さっぱりしていてうまいなと思いました。しかし妻と娘は、「いまいち」との感想です。我が家の変わりご飯はもっと味が濃いので、美味しくないと思ったのかもしれません。娘は、むかごが黒くて気持ち悪いとのことでした。色々話しているところに、私のごく少ない友人がやってきました。同級生です。
私が、「食べるか」と聞くと、「いやだ、そんな旨くないなんて言ってるの、食べるの嫌だ。」私「俺はうまいと思う。少なくともまずくはない。」友人「気持ち悪いなんて言っているの食べるのいやだー。」
しかし、「少しだけ食べるか」と誘い水を向けると、私の年代は、食べ物にはどん欲なので、「んじゃー」と言って食べたら「うまいなあ」とのことでした。ゴマ塩かけるともっとうまいとのことです。
残ったむかごご飯は、特攻隊生き残りの義父(87歳)へ持って行きました。その時食べなくて、感想は聞けませんでした。
このむかご御飯と言うのは、自然そのままを味わうと言う感じがして面白いと思いました。miyotya様、ありがとうございました。

話は変わりますが、近頃乙川優三郎の「さざなみ情話」を読みました。読むのがつらい小説でした。その訳は、2点ありました。

その一つは、悲劇の予感です。
話は、川船で醤油などを運ぶ修二と川沿いの店の売女ちせの愛の物語です。ちせを愛した修二は、彼女を自由の身にし、添い遂げようとお金をためていきます。しかし、彼には母親がおり、彼の失敗で結婚もできなくなった妹もいます。身請けのお金を工面するのは容易ではありません。ちせは借金でがんじがらめとなっています。二人の愛が悲劇に終わる心配で、読むのがつらい小説でした。成功した商人が崩壊へと向かう藤沢周平の「海鳴り」を思いだしました。

読むのがつらいもう一つの点は、ちせの売女としての描写です。
お金で自由を奪われた身分です。そしてどのような男の、どのような性行為も拒否できないという生活です。拒否できないというところに本質があると思います。吉原の太夫といえども、結局は体を売るという点では同じじゃないかと思います。自由がないという点でも同じです。
その点で、江戸時代の吉原も戦前の公娼制度も従軍慰安婦も同じだと思います。法的に違反でなくとも、つまり国家権力が認めても、人として認められるものではありません。それは、いつの時代でもどこでも人として認められるものではないと思います。ちせを愛する修二はいつも、ぼろぼろのちせの体と心を休ませるだけの夜を過ごします。それが愛というものでしょう。

そんなわかりきったことを言うのは、相変わらず従軍慰安婦制度の罪を軽減しようとする声があるからです。「強制はなかった、お金がもらえた、世界中でもあった」などと言い逃れしようとする人は、自分がいやなことを要求されて、それを拒否できない状況を想像すればわかると思うのです。そんなことあっちゃいけないと思うはずです。また、朝日新聞誤報がまるで従軍慰安婦を作りだしたかのような言い方をする人もいます。しかし、いたのは事実です。安倍政権といえども、河野談話を否定できませんでした。
悪いことを素直に謝ることや反省することが、他と仲良くできる第一歩だと思います。それは国家間でも同じと思います。

さて、小説では、ちせの借金が膨らみ、身請けのお金が足りなくなります。その上金持ちの身請け希望者が出てきます。窮した二人は、店から脱走します。二人で海へ逃げます。川船ですので当然船は壊れます。小説の最後は、遭難した二人が浜に流れついた場面で終わっています。小説なのですが、二人の幸せを祈りました。

しかし、ちせの抜けた売春宿(二人までおくことが認められている)では、ちせの朋輩が暫く一人で客をとり、13歳の下働きの娘がやがて体を売ることとなるでしょう。
ちせは、そのことを勿論悪く思いながら、危険を冒し抜け出そうとします。それは、仕方のないことと思います。
もし、その子を助けることが出来ても、別な子が同様の運命を引き受けるわけですから。つまりは、社会の仕組みの問題だと思います。

日本には、戦前と戦後同じ所があるという論調があります。それはあるでしょう。そういう目で分析する必要もあると思います。しかし、私は、戦前と戦後を画然と区別したいと思います。そして、戦後を高く評価します。
戦後、売春制度は、人権に反して悪いこととして法律違反にしました。結婚は両性の合意に基づくとして、個人を、家から社会から解放しました。これまでの世界人類の努力で獲得した人権を、国家から守るよう(自由権)あるいは国家が守るよう(社会権日本国憲法で決めました。私は、その憲法を高く評価します。憲法の言う社会の実現を目標に、国民は生きていけばいいと思います。
台湾・樺太・朝鮮と言う植民地、満州国と言う半植民地がなくなっても、戦前と比べ格段に豊かになった戦後を評価します。この国土この人口で、40年以上GDP世界二位なんてすごいことじゃないですか。
日本国軍隊の戦闘行為によって自国民も他国民一人も殺さなかった、素晴らしいことじゃないですか。米英仏ロ中どこも出来なかったことです。彼らは平和とか正義とか自衛権の名の下、戦後自国民や他国民を殺害している。世界トップクラスの長寿、日常生活の安全も誇っていいと思います。

戦後レジームからの脱却?馬鹿を言わないでください。安倍さん。戦後レジーム故、戦後の良い日本があったのでしょう?日本を悪くする気ですか?
今の生活に不満の人も、特に若者には多いだろうと思います。そういう人は、安倍さんに同調するんだと思います。しかし、戦後レジーム(仕組み)は、人類の英知の結晶だし、日本国民・アジア諸国民の戦争惨禍の反省に立ったものです。日本の戦後レジームこそ迷惑をかけた隣国・東南アジアへの反省を表すものです。仲良くなる基礎です。ともに幸せになる道だと思います。
戦後レジームを否定すれば、全体として今よりも不幸になると思います。誰でも、いつでも思うようにいかないことはあります。だからと言って戦後日本を否定するのは間違っています。全体として見れば、戦前日本より戦後日本の方がはるかにいいと思います。